遺跡探訪

 吉野ヶ里、二度目ですが、今回は素晴らしい法制史の専門家と行って来ましたので、色々思うところをぶつけたところ、やっぱり説明文にも問題はあるようでした。どこの史跡も正当性、を主張したいし、その意義を強めたい、だろうから、強調して“オイタ”をするところがあるのでしょうが、まさか、吉野ヶ里で…? 何故かな、本当に『斧は世界共通で、権力の象徴である』的なことを述べてある文章は、本当に突っ込みどころ満載で、どう読み取れば良いのか分からない、という…。本当に微妙なところですが。あと、面白い発見もしたので、凄くためになりました。
 あと、九州国立博物館、えーーーー、初めて行きました。常設展。いいのかな、あんな一貫性無くって。なんか、腑に落ちない。ぶつ切り。どういうことを目的としているの?それが分からない。尻切れトンボ。アジアに近い九州を強調するならばもう少し関連性があるように、そして韓国・中国から歴史的文化財を借りられるようにしておくべきじゃないかな?ちょっと物足りない…。ですが、明日から本願寺展!旅行から帰ってきて行きます。絶対。蓮如本願寺の領国支配は凄く特殊で面白いから、ね。
 今日は、その法制史の専門家と一緒に史跡を巡ったりしたので思いもかけない発見があったりして凄く楽しかった。
 そして女性天皇問題に関連して、だったと思うんだけれど。
ジェンダーを、自然的問題と関連すると意識することなく、社会的問題と意識することによって、解決はすぐそこである、
と述べられた時、ちょっと、素に戻って「あいつすげー!」と心の中で大絶賛してしまった…。やっぱり、sexとgenderの境界が、どこにあるか、ということを議論している以上、それは自然的問題に派生した社会的性差だ、とジェンダーを理解をしていて、その社会的性差を社会的性差とのみ意識できるようになった時、本当の解決に向かう、と…。
ごめん、色々すっ飛ばした感じはあるけれど、ぶ、文脈上、そういわれたら、いや、もう、なんていうの、ちょっと、こう、何も考えらんなくなるって。
いや、本気で、そうだ。と思った。
 ヒステリックに叫ぶのはなんか違うと思うけれど、いつか、身分、だとかと同じように、性別というものがsexのみで語られる日がくるのだろうか、と思って、でも、やっぱり切り離せないで居る自分がいるのを自覚しているので、まだ当分は無理なんだろうな、と思うけれど、その意識がある内はちゃんと主張するべきところは主張するべきなんだと思った。
 最近、どうにも、テレビでも「どういう考えに基づいているのか、その発言は!」というような発言が多いので正直見たくない番組が多すぎるのですが、そう思っている最中の、知的巨人からの発言だったので、隣に座っていた友人と共に顔を見合わせて、ノートに走り書き『まさに、その通り』。