ひやっと

何かを勉強していて、学者学説はつきもので、もう一年も専門を勉強していれば、見知った学者学説の一人や一つは見付かるものです。そして私みたいにこんなに拙い拾い方しかしていない学生はそれこそ、学界での御大とも言われる方々の名前や通説ともされている学説しか目に止まらなかったりするわけで。だから、あまりにも親しげに、無下に扱いすぎる機雷があるなぁと度々ひやっと、することがあるのです。重々、偉大、ということを意識しているつもりだったんだけれど、それが実際に理解していたかと言われたらそうでもなかったわけです。簡単に出している言葉がどれほどの歴史・思考・思想・バックグラウンドを持っているかを改めて思い知り、大変なことをやっているのだと、身のひき締まる思いとともに更なる好奇心が沸いてニヤけてしまうのでした。五月は知的に重労働が予想される月なので、やらないとな、勉強。今日のゼミの反省。以上。