ご飯作りに萌えている(失礼!)、燃えているので、何故だか家でご飯が多いです。すると彼と会わなくなる。納豆トースト(彼納豆ダメ)に、大根と鶏肉と豆腐とえのきをコンソメスープで煮込んだもの(自分で作る)と、レタス(千切っただけ)。私は、人にご飯を作ることが嫌いだ。うん。嫌い。自分では食べれると思うけれど、人がこれを美味しいとは思えないし、ガサツで盛り付けも適当だし、あまつさえ、美味しそうに見えない、とも言われたことがある。そんな感じで、彼にご飯を作ってあげたことなどない。寧ろ共同作業ならある。彼は全然作らないそうなので、その点私は幾分か作るわけだから、彼よりは分かることが多い。でも、だからと言って、味が美味しいとかは全然関係ない。彼は、一度共同作業をしたら、本当に凝って、凝りに凝って全然コンロの前から離れなくて、美味しく焦げ目をつけて焼いていた(餃子)。見目も麗しい美味しそうな餃子を作ってしまったのだ。タネなんかの味付けは私がしたとは言え、適当に焼いちゃう私なんかとは全然違って“本物の”餃子を作ってしまった。その姿を見て以来、そして何度と無くその片鱗を見せて以来、変なプライドが(他の人よりも何でも上手く出来たいという気持ち、と言うには大げさだけど、自分で諦めていないものに関してはこういう態度を示す)邪魔して、彼の前で絶対に作ろうとしない。一度、おずおずとハンバーグを作りおきしていたものを、餓死寸前の気持ちまで食欲が高まったために、変なプライドを投げ捨てて「食べ…ますか…」とまるで死刑を三時間後くらいにひかえた囚人みたいな表情で聞いて、丁寧に焼いたことがあって、その時は美味しいと言ってもらえたんだけれど、私としては、本当はもっと綺麗な焦げ目を付けたかったし、肉汁を出したかったし、と、もう、アウシュヴィッツにいるような気持ちで、断罪されることを待っていたんだけれど、もう、美味しいとか言われて嘘つき!なんて思ってしまって、全然ダメだった。出来ることなら、共同作業で、もう二度と一人で作ったものを提供したくない、と思ってしまって。
これは、どちらかというと、プライドと言うよりは、作ったものに対する自信がないために、そして作ったものを否定されたくないために、作りたくないと言っている、のだと思う。彼は美味しくなかったら、絶対にお世辞でも美味しいとは言わない人だのだ。その点は、私の中でも愛すべき美点だと思っているので、否定はしない。幾つかある解決方法のうちの一つは、私の料理の腕前の上達だと思うけれども、全く、上達しそうにないし、何よりも分量が適当すぎるし、その適当さも全然気にしない。これでは基盤がなってないような…。だが、ご飯作りに燃えている、との私の気持ちを考えれば、それはどういう目的でと聞かれるかもしれないが、単なる、節約、という一言で片付けられるものなのである。本当に。
というわけで、そんな料理を彼に食べられたくないために、会わない。節約のために料理をしているから、そして出来た料理を彼に食べられたくないために、会わない。会いたいけれど、会わないわけです。私は修行僧か。と言いたくなるこの意地っ張りぶり… だってメールあんま返って来ないしさ…(その前に私もあまり返さないわけですが…自分のことを棚にあげて…)