5日目 輪島→金沢→福井→敦賀→東舞鶴→西舞鶴→北近畿タンゴ鉄道・西舞鶴→豊岡→JR浜坂→鳥取→米子→出雲

 寝坊したーっ、日でした。慌て慌てで帽子をJR金沢駅に忘れてくるという失態を…。あー気に入ってた黒の帽子…つばの広い…ショックだ。能登、がんばっています。

 この日は駅や駅名を観察していました。一日中電車に乗りまくっていて、腰が痛かった。金沢から敦賀へ行く途中鯖江という駅を通りますが、鯖江ってどこかで名前を聞いたことがあるなぁ…もしや『砂の器』?あの、丹波哲郎森田健作が降りた駅ですかね?と思いデジカメでパチリ。いけませんねぇ日本海側!(?)そのあと北近畿タンゴ鉄道をわざわざ選んだのは(山陰本線の綾部・福知山・豊岡という行程もあった)、素晴らしい名前の駅名があったからです。東雲駅では安寿姫の碑?墓?があるそうで、もっ森鴎外(本当は鴎という漢字じゃないが出ないので便宜上)か…!『安寿と厨子王』め!ちくしょ!と思い、丹後由良駅の由良というのは氷室冴子なんて素敵にジャパネスク』に出てくる由良姫だし…天橋立は言うまでもないが、どうにも、こう、平安時代後宮の女房たちの名前になってそうな地名が多くて、丹後、とかそうなんだけれど。
 その後は、山陰本線城崎温泉駅であー志賀直哉!イイナー!直哉くん!『城の崎にて』で、有名な温泉地!と心の中で騒ぎ、香住駅では餘部駅の鉄橋が近いためか鉄道ファンたちが騒ぎ出し、カメラをかまえた人が多くなります。で、鳥取駅を過ぎた辺りから、眠り、終点米子で目が覚めて、出雲まで電車で行きました。電車の乗り継ぎも大変だったなぁ。
 電車に乗っている途中、私の意識を支配していたのは須賀敦子だった。彼女の感受性豊かな幼少時代から、自分の人生について真剣に悩んで日本から逃げ出したいとそう感じていた大学生時代を思って、彼女が苦しみに浸るたびに私はアツコさんの手を握って、大丈夫だよ、と声をかけてあげたくなった。彼女の心理状態は私とシンクロしやすくてすぐに彼女のとりこになる。目の前で彼女を演じる幼子が、酷く優しく魅力溢れている様子に私も同調して顔が歪んで絶望の淵を覚束ない足取りで歩いていくさまを、私は駆け寄ってただ一言、あなたのままでいいのよ、と声をかけたくなるんです。