6日目 津和野観光 出雲→浜田→益田→津和野→山口→新山口→下関→博多

 前日からの須賀敦子熱は冷めず、彼女とシンクロしているとどんなことに対しても鋭敏になってしまう。須賀敦子のの感情の発露はそのままで、雨後の雫みたいにキラキラ輝いてこちらを照らしてくれる。彼女のエッセイの中に『父の鴎外』というものがあって、そのエッセイは本当に私の好きなものの一つであり、今読んでいる『須賀敦子全集第4巻』に収録されていてそれに感化された形で、『安寿と厨子王』も森鴎外で、津和野に行かねば気持ちが治まらないと一念発起し、それまで行く予定にしていた石見銀山やJR木次線出雲三成駅亀嵩駅出雲横田駅で降りてたたら場見学を全部心の中でキャンセルしてそのまま山陰本線で益田まで。11時14分発山口行きに飛び乗った。

 津和野では自転車行動。両側に水路、観光客の多さに辟易しつつ、石畳を軽快に走らせて津和野の奥まで。鴎外記念館・旧居、西周旧居などを堪能したあと、どうしようもないくらいに喉が渇いた私は、取り敢えず、sakeの試飲すべきではないですか?と酒造に入る。素晴らしく7本ぐらい飲ませていただいて、輪島で買わなかった分、ここでsakeを買って行くべきだ、と思い購入。自分のために『大吟醸 津和野』。フルーティで飲みやすい。山田錦で作られてて高かったけれど、仕方ないよね、一日でいける量だ。親には、まぁ、普通の大吟醸。(あ、鴎外が小倉に左遷されたのってなんでですかねぇ?理由が付されていなかったんですけれども。)

 喫茶立石、というところでコーヒーブレイク。穏やかな雰囲気で、目の前でコーヒー豆を挽いてくれて部屋中にコーヒーの香りが漂う。どうしてコーヒーと煙草のにおいっていい具合にマッチするんだろう。紫煙とコーヒーが心地よい。そのなかで須賀敦子を読む。幸せな空間だった。
 森鴎外といえば、完璧主義の硬質さで安易に人を内側に入れない気がするという私のイメージがある。どこか阻まれているような怜悧さが、というか、冷徹さがあって渋江抽斎だって苦労して読んでいる。けれど、鴎外から、後妻の志づへの書簡を読んだら、何だか写真を送れだとか、写真の志づの睫毛が長すぎるから白く写ってる、長い睫毛も考え物だ、というようなことを言ってたり、茉莉が元気で云々とか言ってて、堅物の鴎外が照れたように口の端をあげるだけの微笑を浮かべているような、そんな感覚になってきた。うん。これなら読めるな、色々。『即興詩人』だとか。
 夢みたいな情景。津和野から山口へ向かう途中、真向かいに座った少女が、『今日は人が多いですね』と話しかけてきた。何だか嬉しくなる。人見知りの鉄壁が顔に張り付いている私、『津和野からの人が多いようです。土日ですしね』。『いつもは、ぽつんぽつんとしてるだけなのに。旅行されてるんですか』…二,三言交わすだけの会話に微笑が浮かぶ。穏やかに眠りに落ちたら山口で、彼女が起こしてくれて。『終点です、山口ですよ』寝ぼけ眼の私が碌な礼もせずに彼女と離れた時、あ、お礼と姿を探せば彼女はいなくて。あの時のあの方にお礼を言えていたら…。
 外は雨、列車を降りれば驟雨。見たことも無いような雨の酷さに人々はしばし呆然として落ち込むような声音での会話。気持ちを落ち着かせて、新山口へ向かう列車に乗り込んで。すると、一両しかない列車は旅人たちで満員だった。方々で交わされる会話、雑然とした車内、目の前で騒ぐ子供たちが、彼女にお礼を言えなかった事と、悲しみのどん底に居た須賀敦子と相まって更に私は気分を落ち込ませる。早く列車が出発すればいいのに。複雑な気持ちで、涙が浮かびそうになる須賀敦子の話を聞きながら、音楽を聴いて遮断しようと思ってバッグの中をまさぐっていた。雨は少し、勢いを失って。外を見た人々は。
 間近に迫る大きな虹に息を呑む。『虹!』車内はその声に外を見て、隣に座ったもの同士、目を見合わせて『大きいですね』『しかも近い』、そんな会話をして。目の前の男の子は『にじ』と騒いで通路を挟んだ向かい側の女性と微笑を交わして。色とりどりの花が綺麗に花束にされたように、旅を続ける人たちが纏まった気がした。
 あ、虹の麓には、階段があるんだった…。昔、虹の麓を探して一度だけ虹を追いかけたことがある。自転車を必死に転ばせて、確かに山の麓、そこから出ていて、きっと行ける。そう思った小学生の私は行っても行っても近づくことの無い虹に、少しだけ、悲しくなって、追いかけるのをやめた。それを思い出して、虹を見る。虹が目の前にある。しかも、こんなに低い位置。きっと今行けば会える。
 私は少し潤んでいた目で虹を見つめて、先ほど大声で喋っていた女性を目が合った。『虹よ』気付かれたかなぁ…色んなことで悲しくなって歪んでいたものを見透かされたように、忘れなさいとでもいうように、虹をさす。その視線の、何と優しいことか、目じりの皺が凄く心地よくって。
 動き出した電車と、浮上した気分が、一致した。