マキャヴェリ

 マキャヴェリ凄い。汚く言えば、あいつチェーザレの信奉者っていうだけじゃなかったんだな、という感じ。再びマキャヴェリ君主論』にはまっている。以前は、チェーザレ目当てだったが、今回はマキャヴェリにもはまっています。
 何が凄いかって、政治の世界において宗教から脱し、暴力性をそれに取って代わらせようとしたところ。中世においてどれほど宗教が1つの重大な価値として重んじられていたかということを現代のしかも宗教色の薄い(と言われている)日本人の私が思いはかれるはずもないが、多分宗教と言うものは絶対で、ああいう要素は必ず考慮に入れねばならなかったものなのだろう。勿論、信仰だって、凄く大事だったに違いない。(私たちの生活を不条理で不合理なものにするような)運命の女神、と言う気まぐれな女神は信仰によって抑えられる、これが摂理であったらしい。自然界を支配する、ね。もし、自然界を支配する摂理があるとして、そこから信仰を抜き取ったら、運命の女神の気まぐれ(予見不可能)に人々は従って不条理なことが起きるだろう。それを抑制するための信仰であって、信仰によって抑えられると考えられた。神中心の世界では。しかし、運命の女神を抑えられる信仰を抜き取って運命の女神が暴れだしたら、信仰の無い人々(君主)はどうするか。力量virtu、だ。暴力性を伴った力で運命の女神、予見不可能性を押さえ込むしかない。人間中心に世界を考える。神の世界であるこの世を、信仰と言うものを捨てて、暴力によって、暴力という手段を用いて、治めようとする、その発想の新しさ、宗教を捨てる力、そこがマキャヴェリの凄いところかなーと思った。いかがでしょうか。
 でもこれで半分読んだ。後半分は週末読めるかなぁ。

君主論 (中公クラシックス)

君主論 (中公クラシックス)