ハンス・ギーベンラート自身が見えなくなって行く過程が、周囲の視点から見たものと読者に与えられる紙面上の情報で重なってしまうから秀逸。最後の靴屋の台詞に、彼が何を意図して言ったのかまだ私は詳しくないが、その言葉のみは正しくてくらくらする。
ハンスの独白が少ないために、彼を正しく理解することは出来ないが、私はハンスに自分自身を重ねることはできない。それは、あんな経験がないからとか言うのではなくて、あの時代をもう過ぎ去ったものとして捉えているからだと思う。理解はできるし、言っていることも分かる。何が違うか。そこを超えたという微かな自負だ。きっとこんな人間はハンスに対して、何が出来るかと言えば『時間が解決するよ』『昔は私もそうだった』『急く必要はない』など理解を示しつつも無責任なことを言うことだけだろう。だが、本人を目の前にしたら、きっと何も言えず、手を握ってそばにいることしかできないし、彼を思って心を痛めるだけなのかもしれない。…出来れば私は後者の人間でありたいが。
(ヘルマン・ヘッセ車輪の下』光文社)
次はフォークナー『八月の光』かミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』。飛行機の中とかで着実に読んでいる。