読了&イマ

.幸田文『黒い裾』(講談社学芸文庫)
.井上靖天平の甍』(新潮文庫
なんにしろ、幸田文は初めての経験だった。幸田文という作家は露伴先生の娘さんということで知っているという大変失礼な知識だったんだけれど、ふと、目に留まった、黒い裾というタイトルに、一瞬喪服の黒さと足袋の白さが鮮やかに蘇って、すぐに手をとれば、幸田文。まるで運命的な出会い。エッセイか小説か、踏み分けが難しいが、露伴かとも思われる“父”と働く“私”。短編集でそれぞれの根底にあるのは、“退廃”か。戦後の雰囲気を色濃く残し、現代人が読んだら意味のつかめないところも多く、解説で補充。「エタノール」の出てきたところはまったく意味がつかめなかった。「どの位?」「二合でだめなの。」
ゼミ論文で奈良時代の仏教を選択し、道璿だとかを勉強していたし、遣唐使にも興味があったので、今更な感があったんだけれど、これで一応の流れを掴むのも良いかと思い、でも、それで知らなかったことを知ったらどうしようかと一種の研究対象に対する知的好奇心の収まりを予想して恐怖にも近い感情を抱きながら読んだ。結果からすれば、知らなかったこともあったけれどあまり深く突っ込んでいなかったために、好奇心の収まりはなかったために“安心”した。多分、人よりも熱中できなかった感じが強いし、(研究する上で)色々ひっかかる部分もあって、正直心の底から「楽しかった!」という感想は抱けなかった。日本人、という意識の構築、行基に対する人々の捉え方、鑑真に対する私の持つ懐疑…本、としてはただのディテールだ。瑣末な問題だ。本旨は例えば人の生き方だとか、そういう根本的なものだったりして歴史など、時代などただのアクセントにしかなっていないんだ。でも、歴史小説をして読む場合、そういうところに絶対に目が行く。歴史を勉強しているものとして。殆ど今まで、歴史小説を苦手に感じなかったことはない。高校生の時に、何か読んで酷い嫌悪感とそうじゃないという否定的な感情を抱いてからあまり得意ではなくなった。多分読んでいても興味の薄い江戸期のものだったりしている筈だ。若しくは歴史に興味を持つ前の小学生とか中学生の時に読んだもの。歴史小説はあまり得意ではない。研究は進み、必ず、その本は“古く”なり、その時の“真実”から遠くなってしまう場合が多いからだ。あーあぁ、こういう考えがあるから楽しめない。1つの防御は奥付を見て出版年数を確認すること。そしてその時きっとこの本はある程度最新の研究に則っているんだと考えるようにすること。
でもそこまでして読みたいとは思わないから、あまり読まない。つまらないなぁ。

今は柄谷行人日本近代文学の起源』(講談社学芸文庫)、漱石が出てくるから買った以前言っていた気がするけれど思い出せない。風景、が発見されていく過程が日本と西洋ではまったく違って、いい。私、漱石の「現代日本の開化」が好きなのできっと読んでいてスラスラ進む。