週一か、これは。
来週行く予定だった、遊園地への約束が相手の都合により反故になってしまった。いつも、私が遊園地に行こうとすると、何かしら、思い切り楽しめないようなそんな状況に陥っている。一昨年は酷い雨で行ったは良いもののジェットコースターになんか乗れなかったし、一昨々年は、少々複雑な恋情を抱いている友達二人とそれを偽装するかのように付いて行った遊園地だったし、大学生になってからと言うものの全く楽しい遊園地ではなかった。
過去のことは、もういい。今は、行けないと言われたそのメールにまるで物分りの良い人間であるかのように、残念だったことと、次の約束への可能性を仄めかせる様な内容を付記することだけで自分の感情を抑制している。本当は、鳴門海峡の渦潮のようにぐるぐるしている。うまくいかないものだな、うまくいかない。
イーユン・リー『千年の祈り』には孤独ばかりが人々の間を空気のように泳いでいた風景が収められていた。まるで秋風のように心に染み入る孤独ばかりだった。私は孤独じゃない。彼らも孤独ではなかったし周りには大切な家族がいた。けれど、どうしていつも一人ぼっちで周りの人からの親愛の情がまっすぐに向かっていかないのだろう、そのベクトルはいつも交差して違うほうへ向いてしまうのだろう。どこかしら狂気に駆られた行動をとってしまう、とってしまえる彼らをとても羨ましく見てしまう自分がいる。彼らは、その行動によって状況を変えることが出来たり、全く変わらなかったけれど1mm近寄れた時もあった。私は、いつもそれを胸に大切に仕舞いこんだまま、腐敗臭を匂わせる結果にしかならない。
孤独。寂しい。寂静は涅槃。静は悟り、無常…諦観。(仏教用語。)
ここで漏らすのではなく、本人に、言え。